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ジェームズ・ヘップバーン (ボスウェル伯) : ミニ英和和英辞書
ジェームズ・ヘップバーン (ボスウェル伯)[はく]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [はく]
 【名詞】 1. count 2. earl 3. eldest brother 4. uncle 5. chief official 

ジェームズ・ヘップバーン (ボスウェル伯) : ウィキペディア日本語版
ジェームズ・ヘップバーン (ボスウェル伯)[はく]

ボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーン(James Hepburn, 4th Earl of Bothwell、1535年 - 1578年4月14日)は、スコットランド女王メアリーの3人目の夫(王配)。
==生涯==

===ジェームズの生い立ち===
ジェームズはスコットランドの名門貴族ボスウェル伯家に生まれた。曽祖父はスコットランド国王の執事であり、艦隊司令部の総督・エディンバラの高等行政官・国境地帯の長官を兼任した。祖父はこれらの役職を引き継いだが、イングランドとの戦いで若くして亡くなったという。父パトリックは素行が悪く、多額の借金を抱え、報酬のいいイングランドに雇われることもあったという。また、国境地帯の盗賊団と一仕事したため、投獄されたこともあったらしい。その後はイングランドに亡命したが、王太后メアリ・オブ・ギーズの恩赦を受けて職務にも復帰し、宮廷に迎え入れられた。その後1556年、盗賊団との小競り合いで45歳で命を落としたという。
パトリックは、当時未亡人となっていたメアリ・オブ・ギーズと結婚できるかもしれないと勝手に思い込み、1543年の秋に妻のアグネス・シンクレアと離婚した。そのため、ジェームズは7歳の時に大叔父のマリー大司教に引き取られ、妹のジャネットは母のアグネスに引き取られた。彼は大変な読書家で、兵法書や軍事史の知識をことごとく習得したという。また、フランス語やイタリア語も習得し、読み書きさえおぼつかない有様だった当時の無教養な他のスコットランド貴族達とは大きな差があった。また、自然科学にも深い関心を寄せていたという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジェームズ・ヘップバーン (ボスウェル伯)」の詳細全文を読む




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